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高松高等裁判所 昭和50年(ウ)46号 決定

申請人

金丸孝

申請人一〇九名代理人

林伸豪

被申請人

船井電機株式会社

右代表者

船井哲良

徳島地方裁判所昭和四七年(ヨ)第一四七号従業員地位保全仮処分判決に対する被申請人の控訴提起に伴なう当裁判所昭和五〇年(ウ)第四六号強制執行停止決定に対し、申請人らから、強制執行停止決定の取消等の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

申請人らの各申立はいずれもこれを却下する。

申立費用は申請人らの負担とする。

理由

一本件申立の趣旨及び理由は、別紙「強制執行停止決定取消等の申請書」記載のとおりである。

二当裁判所の判断

(一)  本位的申立について

1  仮処分判決に対する控訴提起に伴ない民訴法五一二条一項を準用して発せられた仮の処分たる執行停止決定に対しては同条二項が準用する同法五〇〇条三項によつて不服の申立が禁じられているから、かかる決定は同法四一九条の二、一項の「不服ヲ申立ツルコトヲ得サル決定」に該当するので、これに対しては同条所定のいわゆる特別抗告のみが許されるところ、申請人ら代理人が提出した本件「強制執行停止決定取消等の申請書」は、当裁判所が先になした前掲強制執行停止決定(以下当審停止決定という。)に対する特別抗告と認めることはできない。

従つて、当裁判所としては、特別抗告提起の場合に民訴法四一九条の三により準用される同法四一八条二項所定の仮の処分として当審停止決定の執行停止その他必要なる処分を命ずることができないのである。

なお、申請人ら代理人が指摘するいわゆる民放一二チャンネル事件は、適法な特別抗告が提起された場合に右仮の処分として強制執行停止決定の効力停止決定がなされた事案であつて、特別抗告提起のない本件には適切でない。

2  次に、申請人ら代理人は、「もともと民訴法五一二条は、執行停止を『一時停止すべきこと』との規定から明らかな通り、必ずしも停止の期限は控訴審(ないし異議審理)の判決あるまでの間全てにわたる必要はないものであり、当初の停止においてこれと異なる短期の一定期間に限つて執行停止をすることが可能であり、あるいは又、当初事情が充分わからず(控訴審裁判所が執行停止の判断を行なう場合、一審記録も間にあわず、控訴人の一方的な主張のみによつて判断するということは常にありうることであり、本件もまさしくその例にもれない。)、かかる事情からその後に停止をする必要がないこと、あるいはすべきでないことが明らかになつた場合には適宜裁判所の裁量で取消すことが出来るものと解する。このことが法文上執行停止の期間をあえて『控訴審判決あるまで(あるいは異議事件判決)』とせず『一時』としたことの謂れである。況や仮処分事件については例外の例外の場合に準用出来るというに過ぎいものであり、仮処分という緊急性のある事件につきさらにその執行を阻止するという緊急性が要請される事態のなかで、あるいはとりあえず、執行停止するという結論になることがあることは否定出来ないにしても、しかしそれが、控訴人側の一方的な主張のみで、仮処分申請人の意見をきくことなく、まして一審事件の審理記録も検討する余裕もなくされたような場合、民訴法五一二条の準用に過ぎないということの性質上からいつても、その後の事態のなかで裁判所の裁量によつて取消しうることは当然であろう。」と主張するので検討する。

先ず、民訴法五一二条一項には「一時停止」と規定されているけれども、同じく仮の処分を認める同法五四七条二項、五四九条四項、五六五条二項等には控訴審の終局「判決ヲ為スニ至ルマテ」と規定されていること、応急処分は、本案の裁判までの一時的応急的救済措置にすぎないというその趣旨に鑑み、これら応急処分の効力の存続時期はすべて本案の終局判決言渡までとしていると解するのが相当である(大審院大正一五年一二月二五日決定、民集五巻九〇三頁参照)。

従つて、これと異なる申請人らの主張は、採用することができない。

次に、民訴法五一二条一項は、「保証ヲ立テシメテ強制執行ヲ一時停止ス可キコト」、「保証ヲ立テシメズシテ強制執行ヲ一時停止ス可キコト」、「保証ヲ立テシメテ強制執行ヲ為ス可キコト」、「保証ヲ立テシメテ其為シタル強制処分ヲ取消ス可キ」ことの四種類の仮の処分を認めるのみであつて、申請人らが求めるような「強制執行停止決定の取消」という類型の仮の処分を許容していないことは、右規定に照らし明らかであるし、かつ、かかる仮の処分の申立権は、執行債務者(仮処分債務者)のみに存し、執行債権者(仮処分債権者)がこれを有しないことは、後記(二)説示のとおりである。

なお、当審停止決定を当裁判所の職種裁量により取消すことができる旨の主張には賛成できない。

3 結局、申請人らのした本件本位的申立は、いずれも不適法というべく、却下を免れないものである。

(二)  予備的申立について

申請人ら代理人は、予備的に、「民訴法五一二条一項の『保証を立てしめて強制執行をなすべきことを命じ』の規定を準用して、申請人らに一定の保証を立てしめることによる強制執行の開始ないし続行を許すとの裁判を求め得る」旨主張するので検討する。

仮執行宣言付判決(仮処分判決)に対し控訴が提起された場合に、すでに民訴法五一二条により控訴人の申立によつて一時執行停止命令が発せられたのち、さらに被控訴人の申立により仮執行(保全執行)の実行を許すとすれば、同条二項が準用する同法五〇〇条三項において、同法五一二条一項所定の裁判に対しては不服申立を許さない旨定めた法意に反するのみならず、同条項により控訴審裁判所のなすべき裁判は仮執行宣言付判決(仮処分判決)に対し控訴を提起した当事者の救済のためになしうるものであつて、常に仮執行宣言付判決における敗訴の当事者(仮処分債務者)の申立あることを必要とし、いわゆる続行命令とは仮執行宣言付判決において保証を立てさせないで仮執行をなしうる旨宣言した場合に仮執行により(仮処分判決の保全執行により)生じうべき控訴人の損害を担保するため、被控訴人をして保証を立てなければ仮執行(保全執行)の開始又は続行を許さないとする目的で控訴人の申立によつてなされる執行制限の一方法を定めたものと解するのが相当である。

従つて仮処分債権者たる申請人らには、いわゆる続行命令の申立権がないというべく、かかる申立権を有しない者のした本件予備的申立は、いずれも不適法であるから、却下を免れない。

(三)  結論

以上のとおり、申請人らの本位的及び予備的申立は、いずれも不適法であるからこれらを却下することとし、本件申立費用の負担につき民訴法八九条、九五条を適用して、主文のとおり決定する。

(越智傳 古市清 辰巳和男)

〔強制執行停止決定取消等の申請書〕

徳島地方裁判所昭和四七年(ヨ)第一四七号従業員地位保全仮処分判決に対する被申請人の控訴に基づく貴庁昭和五〇年(ウ)第四六号強制執行停止決定に対し申請人等は次の通り強制停止決定の取消等の申請をする。

一、申請の趣旨(本位的)

徳島地方裁判所昭和四七年(ヨ)第一四七号従業員地位保全仮処分事件判決について高松高等裁判所の昭和五〇年七月二三日付昭和五〇年(ウ)第四六号強制執行停止決定は取消す。

との判決を求める。

二、申請の趣旨(予備的)

右第一項記載の執行停止決定につき申請人等が、保証を立てることを条件として、強制執行をなすことを許す。

との裁判を求める。

三、申請の理由

(一) 昭和五〇年七月二三日徳島地方裁判所が言渡した徳島地方裁判所昭和四七年(ヨ)第一四七号従業員地位保全仮処分申請事件に対し、同日付の被申請人船井電機株式会社からの強制執行停止決定申請を受けて高松高等裁判所は申請人等の意見をのべる機会を与えられないまゝ即日各申請人について最高で一四四万円、最低では五五万円の金額を超える部分について執行停止の決定をなした。その停止決定は過去のバツクペイ部分のみでなく判決以後の毎月の賃金(従つて現在およびこれからの生活費)をも執行を許さないというもので労働者にとつてきわめて苛酷な内容となつているといわざるを得ない。

被申請人船井電機株式会社(以下会社という)の申立はわずかに数通の疎明書類を添付したのみの簡単なものであり、その論旨は①本件仮処分判決が終局的満足を図るものであり執行されてしまえば多数の申請人等から金員を回復することは全く不可能であり、従つて被申請人会社に対し回復することの出来ない損害を生ぜしめるおそれがあること、②最高裁において民訴五一二条の準用によつて仮処分事件の場合も、その内容が権利保全の範囲にとどまらずその終局的満足を得せしめるものであつてその執行により債務者務者に対し回復することの出来ない損害を生ぜしめるおそれあるようなものである場合に控訴に基づく執行停止を例外としてなしうるとしていること、③原判決は申請人等が労務を提供する場所が全くなく、又提供すべき労務もあり得ないのに、賃金支払いを認めたのは誤まりであり、げんに京都地裁の平安自動車伏見教習所事件判決では本件とこの点で全く相類似しているが、仮処分の利益を否定している。④申請人等は労務を提供せずに金銭を受けることが出来るという不当な事態となり会社の提出した報告書にある通りの多くが他の使用者に雇用されたり主婦として家事労働に従事していることがうかがえるのに地裁判決は保全の必要性について深く考慮せず誤つた判断をしている。

などである。

(二) しかしこれらの会社の主張は全く一方的で不当なものである。

まづ仮処分と執行停止の問題について言及すると、たしかに昭和二三年ならびに昭和二五年の最高裁決定において仮処分事件についても例外的に民訴五一二条の準用による執行停止が認められていることは事実であるが、本件について貴裁判所が決定でのべられている通り仮処分事件における執行停止は仮処分制度の目的を滅却する危険がきわめて大であり、

来許さるべきものではない。当然のことながら仮処分事件はそのケースは多種多様であり諸搬の事情によつて審理の方式、程度も一定ではない。

内容的に言えば、処分禁止の仮処分的なものから、いわゆる終局的満足仮処分的なものまであるのはもとより、終局的満足的といつても単に金銭の支払い等の給付を認めるのみのものや、家屋の収去断行などの如く一度執行すれば再現性の不可能なものまであり、さらに給付の仮処分についても、完全に本案判決と同一内容のものから、継続的給付関係について、ある一時期に限つてのみ(本案判決までなど)部分的にかつ必要性のある限度で認めるようなものまで、各種考えられる。

本件について言えば、なるほど金銭の給付ということだけを抽象的にとらえれば、終局的満足処分であるという言い方も出来ないことはないが、金額的にも解雇当時の一人平均一ケ月四万円足らずという低額の賃金支払いを認めたものに過ぎず、その後の給与の上昇を勘案すれば、現時点に於て仮処分認容額の倍近い一ケ月平均八万円前後にはなつているものであり、本来的な終局的満足というのはかかるものでなくてはならない。さらに根本的には終身雇用を前提にした労働契約に基づく賃金債権という継続的給付関係に於て本案判決確定までという部分的な一時期について認めるものであるから、この点に於て厳格な意味での終局的満足を持たらすものとは質的なへだたりがあるのである。

即ち、仮処分事件に於て仮執行宣言等の執行停止を定めた民訴五一二条の規定を準用すべきか否か、あるいはどの程度度、どの様に準用すべきかについて等しく終局的満足という字句を使用した場合に於てもその内容に於て大きな違いがある以上その違いに応じたものでなければならないことも自明である。家屋収去の断行の如く、執行することにより文字通り終局的な満足を得、かつ事後的金銭補償はともかく債務者側に於て執行のなかりし状態に復することが考えられない事案と、本件のような金銭債権など、ことの性質上当然金銭補償(不当利得返還訴訟などによつて)をすれば一〇〇%執行のなかりし状態に回復することが本来的に可能な場合には五一二条の準用という問題において明確に区別されなければならず、まして本件はさきに述べた通り金額面、時期面からみて本案訴訟を維持していくに必要な一時期、暫定的権利保全的性格の濃いもので、本案訴訟で確定すべき請求のうちのごく一部を占めるに過ぎないことなど充分考えあわせなければならない。

(三) ところで、会社の引用する昭和二三年、昭和二五年の最高裁決定はいずれも戦後の混乱時期にいまだ、金銭支払の仮処分や、あるいは労働事件に併なう仮処分事案について充分論議が尽され、判例的にも集積されるということがない段階で出されたものである。

このことは昭和二三年の最高裁決定が、「若し万一誤つて仮処分の内容が権利の終局的実現を招来するごときものであつてその執行が債務者に対して回復することの出来ない損害を生ずるおそれのある場合においては民事訴訟法五〇〇条の前記立法精神に徴しても、かかる仮処分裁判に対して異議又は上訴の申立のあつたときは例外として同条および五一二条の規定を類推して債務者のために一時的の応急措置を講じその執行を停止する途を開く必要」があると述べていることからも理解出来る通り、この当時にはいわゆる終局的満足仮処分はむしろあやまつたものとしてとらえられていたことがうかがえ、かかる観点から仮処分事件における執行停止準備の問題を考えていたことが明らかであり、このことは二年後に出された昭和二五年の決定においても仮処分の裁判は「将来本案訴訟において確定せらるべき請求につきその固有給付を保全するに必要な緊急措置を講ずるものたるに過ぎない」などという論旨に体現されているようにその後二五年間にわたつて発展させられてきた仮処分事件について判例の集積をふまえてのものでない、きわめて視野の限定された、従つて右決定を教条的に字句のみを追えばきわめてへんぱで、不合理で、不衡平な結果を招きかねない性質のものである。

とりわけ当時とことなり地位保全、賃金支払いを認める労働事件仮処分事件が圧倒的に増え、事案の審理方式をふくめてそのことの意義につき積極的、消極面全ての面にわたつて双方当事者から問題点が追求され尽くしこれを踏まえて裁判所がこれを肯定する仮処分判例を積み重ね、現在定着するに至つている現実が忘れられてはならない。

とくに右最高裁決定に於ては本件の様に地位保全等の労働条件がきわめて長期間にわたつて慎重に審理され、実態的には本案訴訟にまさるともおとらない形でなされた結論であるということはおそらく想像のらち外にあつたであろうことが容易に看取出来るのである。

仮処分によつて認容する権利性が強く、債務者に影響度が深い場合、それに比し審理も慎重にわたつているのであり、権利性の強度さ、影響度の深さに応じた上で、そのことをふまえた形で仮処分の審理が行なわれているのが現在の裁判実務の通常の形態である。

(四) 因みに本件は昭和四七年一二月一五日に申請書の提起を行ない、以後二回の弁論期日をふくめ実に二五回の公判を重ねてきている。

しかもその公判期日の殆んどが午前午後にかけて丸一日行なうというハードなもので、これだけ審理をかける事件は本案訴訟に於てもきわめてまれであるといつてよいだろう。

その上に、昭和四九年一一月五日に結審以後、翌昭和五〇年七月二三日まで八ケ月間を要したのちなされたが一審の判決である。

仮処分事件はいうまでもなく被保全権利の存在と仮処分の必要性の両面についてこれが肯定される場合に認容されるのであるが、本件に於ても、被保全権利と仮処分の必要性についても会社にも充分主張、立証を尽くさせ、本案と殆んどかわらぬ審理を遂げた上出された結論である。

然るにこの判決について執行停止がなされるということは執行停止がなされた額については一審に於て二年八ケ月にもわたつて慎重な審理が行なわれた。

被保全権利の存在ないし、仮処分の必要性につき結局一審に於て会社側の主張が認められ、申請人等の主張が排斥されたのと全く同じ結果になる。(このことは執行停止が仮処分控訴審判決までの間であるということによつていささかも事態はかわらない。一審判決において申請人が敗訴したり、あるいは一部棄却された時にも控訴審判決に於て勝訴すれば、執行停止をうけて控訴審判決によつて勝訴するのと同じことであるのは簡単な真理である。)

そうだとすると、高裁の執行停止というものは三年近くも判断に要した重大な結論を(それは仮処分の必要性、緊急性すべてを考慮した)本来の記録を検討することもなく、わずか半日程度の期間で申請人等の意見をきくこともなく一挙に申請人等を敗訴させ会社側を勝訴させるのと同じ効果を持つ結論を出すことが出来るのかというきわめて深刻な問題をかかえているのである。

(五) そこで次に前記最高裁決定以後の仮処分事件における判例等実務の動向をみてみよう。

その大勢は執行停止の準用を否定する消極説が根強く主張される一方その準用を認める場合にも、きわめて限定された場合、即ちごく少ないが「明白な誤り」の仮処分決定が出される可能性についてのみ、その適用の余地を認めようとするものである。(判例タイムズ一九七号「仮差押、仮処分の諸問題」一九二頁以下)

「ごく少ない率にしろ『明白な誤まり』と目すべき仮処分命令が出される可能性は否定出来ない。その上それが全く予測だにしなかつた重大な損害を債務者に与える場合があるのである。しかも現状では各種の異議の制度もこれを救済するのに十分でない。現状程度の審査で仮処分命令が出されることを是認する限り消極説で割り切るのはちゆうちよせざるを得ない」(前記本)との立場からのもので、従つて「判決手続による場合は勿論のこと審訊した場合においても誤まつた仮処分が出される可能性は激減する。執行停止による救済が必要とされるのはむしろ断行的な仮処分(実務上ほとんど審尋の機会が与えられている)でなくしてそれ以外の場合である。審尋すらされなかつた事案について債権者提出の証拠が虚偽であること、反対の事実を疎明する有力な証拠があること、右と関連して仮処分発令時予測されなかつた抗弁の存すること、仮処分がその本来の目的以外のそれのため求められたものであつたり、仮処分の執行により予測出来なかつた損害を債務者に与えたことなど」の場合にのみ執行停止を認めようとするのであり、「実務の大勢はこの積極説に近づきつつある」のである。(いずれも前記判例タイムズ)

従つて戦後の一時期安易に認めていた労働事件等における仮処分事件についての執行停止はその殆んどが却下されるようになり、かかる傾向のなかで申立自体がかげをひそめているというのが、実務の実情である。

会社側疎明資料として提出した仙台川岸工業事件の執行停止例などはきわめて特異な弧立した実例であり、その意味では本件の執行停止も残念ながら、その数少ないものの一つといわなければならない。

従つて執行停止を認める場合にも例外的に民訴五一二条の準用することのある場合を最高裁決定を引用しつつも「その執行停止は仮処分制度の目的を滅却する危険がきわめて大であることに鑑み特に慎重であることが要請される訳であるから諸搬の資料を検討して必要性の認定に明らかな誤りがうかがえる等特段の事由がある場合に限つて執行停止が許されると解するのが相当である」(東京高昭和四一・一二・二〇決定判例時報四七五号)としてその一部につき執行停止を認めるなど、あるいは又、「仮処分の内容が権利の終局的満足を得せしめる場合、常に仮処分の執行の停止又は取消の要件を充足すると解するのは『緊急事態に対してなされる緊急措置たる効果を阻害されるに至り仮処分制度による特別保護の目的を滅却することとなる』であろう。…………従つて一般に(仮処分の内容が終局的満足を得せしめるものであると否とを問わず)①仮処分決定又は仮処分判決の取消又は変更の原因があるとき若しくは②仮処分の執行により債務者に回復しえない損害発生の危険があるときのいずれかの場合に限り、仮処分の執行の停止又は取消を求めうると解する」(京都地裁昭和四四年八月二日決定判例時報五八四号)として停止の申立を斥けるなどきわめて限定的に要件を解しているのである。

さらに又有名な事案ではいわゆる民放一二チャンネル事件に関し東京高裁は会社側の一方的な意見のみをきいてうかつにも執行停止の決定をなしたが、その後組合側の意見を聞き、労働者の賃金支払いの仮処分事件に於て、執行停止決定をなすことがいかに労働者の生活と生存を無視した空しい机上論であつたかをさとり、異例の執行停止の執行停止をなすということによつてその誤りであることを率直に示したのである。

(疎甲九二号証参照のこと)

(六) 貴裁判所の決定は会社側の一方的な主張をうのみにしたものではなく、「その執行停止は仮処分制度の目的を滅却する危険がきわめて大であることに鑑み、特に慎重であることが要請される」こと、「本件において被申請人(即ち申請人)らはいずれも徳島船井電機株式会社から支給される賃金を唯一の生計の糧とする労働者」であることなど、全く正しい指摘をおこないながら会社の「本件仮処分判決によつて一時に仮払いすべき金額の極めて高額であること等本件にあらわれた諸般の事情を斟酌し」裁判所の認めた限度額をこえる部分(即ち各申請人一人当り五五万円から一四四万円)をこえる部分についてはその執行が申請人に回復しがたい損害を与えるおそれがあるとしてその執行の停止を認容した。

しかし本当に回復しがたい損害を蒙むるのは一体誰なのか。会社か、労働者か。このことを貴裁判所に於て今一度真検に考えて頂きたい。貴裁判所も申請人等を船井からの賃金を唯一の生計の糧とする労働者であると一応いう。然しその労働者から賃金が断たれたらいかなる結果になるのか。まさしく労働者の生存の否定であり、これにまさる回復しがたい、著しい損害はないといわなければならない。

「私が船井電機の不当な首切りを受けたのは結婚して間もない長女がまだ三ケ月のときでした。この知らせを聞いたその時の妻、不安そうな青ざめた顔はいまだに忘れることが出来ません。」本日提出した疎明資料の報告書でこう書き出しているのは委員長の板東孝である。「妻が夜おそくまで内職をやつた疲労で寝こんだときなどは、それはなんとも言えない苦しみのどん底でした。内職を少しでもやつて子供の服の一つでもと頑張つた母親としてのささやかなのぞみなどはこの狂乱物価のおいうちではとうていかなえられるものではなく、本当に一日一日が食べていくことにやつとの生活でした。月の中ばで一文の金もなくなり実家へ家族そろつておしかけ食べにゆくこともしばしばありました。その時の私は一家の主人としてはいてもたつてもいられないみじめさがこみあげてきました。妻はいいます船井電機のおかげで白ががふえたと!」(疎甲一号証)

申請人の一人上原笑子はこう述べている。(疎甲二号証)

「一家の柱となり両親の面倒を見ている私にとつて突然の首切りは死ねという言葉も同じでした。働かなければ生きていけないのです。全員解雇の一方的な会社のやり方にこれから先私はどうしたらいいのだろうかと色々に悩みボーナスも給料も支払つてくれず不安な暗い年の瀬を送つたあの時の事を、私の生涯の内で決して忘れることの出来ない事実です。両親にはあれもこれも買つて上げたい物ばかり、でもぎりぎりで最底の生活をしている私には何ひとつ買つてあげることは出来ません。縫製工場でのアルバイト料も最少限度の生活費にさえ足りない程の金額です。とにかく言葉ではいい表わせない位ひどい生活状態をわかつて頂けないのが残念です。……今この報告書を書いて側に父がおります。『裁判長わかつてくれるかなあー』と心配そうにのぞき込む父の顔。『そりや裁判長だつて人間じやもんわかつてくれるだろう』と母の声。今仮処分の執行停止をされたら生活はますます厳しくこの物価高の中で私達親子は生きて行けなくなりそうです。これではあまりにも家族がみじめでなりません。」と。

申請人山畑陽子は(疎甲三号証)

「私は母と子供を二人かかえて会社へ行つていましたが会社がつぶれて失業者となり目の前が真暗になりました、妊娠をしり、ふたたび不安がきました。今の状態では子供を生むことも出来ないと思い、心をおににして中絶までしました。あの時の悲しさを一生忘れることができないでしよう。」と訴えている。

申請人橋本菊美(疎甲五号証)は

「なんどもなんども延期、ついにまちにまつた判決の日、勝訴を聞いた時、やつたついにやつたと思つた。今まで近所や家族のみんなから色々の悪口をいわれ肩身の狭い思いをしながら耐えてきた二年八ケ月やつぱり正しいものが勝、私の心は明るかつた。この二年八ケ月の間、自由に使える金といえば盆と正月の一万円だけだつた。……ある時に長女が首をかしげながら、かあちやんは何もこうてくれん、ばあちやんや美枝ちやんはようこうてくれるのにかあちやんはなんでこうてくれんの、みゆきが嫌いえ、といわれた。かあちやんはお金ないけんな、また会社へ行くようになつたらこうたげるけんなというと子供は会社へよう行くのにお金ないんとふしぎな顔をした。……私達が二年八ケ月もかかつて戦つて得た勝訴をわずか数時間のうちに執行停止するなど私には考えられないことである。会社の一方的なことばかりを信じず、私達の苦しい生活実態をわかつてもらつて地裁の判決を守つてもらいたい、一日も早く元の職場で働かして下さい。」と切々とのべている。

貴裁判所が執行停止を認めなかつた額は総額こそ九千万円になるけれども申請人一人一人についてはわずかのものでありこの三年間にわたる文字通り心苦の生活のなかでつもつた借金払いをしてしまえばあといくらも残らない金額である。

現在、これからの生活を一体どうしてゆけばよいのか。このことが全く無視されているものといわなければならない。バツクペイ部分の半分が執行停止されたのはもとより遺憾であるが、とりわけどうしても納得出来ないのは現在および将来の支払部分まで停止になつたことである。これは事実上息の根をとめるにひとしいものである。

一審判決が出るまでの間が二年八ケ月という余りに長きに及んでいる。

これまでに到達するのが、むしろ奇蹟的なのである。

厳に申請時一五〇名いた仲間はうち四〇名が会社の不当な首切りに怒りながら涙をのんで裁判を取下げていつた。決つして会社側の主張が正当であると思い直したからではなく仮処分裁判を維持していくことが経済的に困難だからである。さらにさかのぼれば二五〇名いた組合のうち一〇〇名が仮処分申請をも行なえず去つていつたのも実際には経済的理由が主たるものである。出発時点から強力な資本力を持つ会社と賃金のみを唯一の生計手段とする労働者では根本的な差異があり、裁判を続けていくこと自体が、労働者にとつては著しいきわめて困難な状態にさらされているのである。

厳に二五〇名中一四〇名は著しい損害をさけるための権利保全的な仮処分裁判すら維持出来ず涙をのむという、権利救済にとつて全く回復困難な損害をうけている。だが残つた一一〇名がどれだけ事情がことなるのであろうか。

これに反し会社は一体仮処分の執行を受けていかなる回復しがたい損害を蒙むるというのであろうか。

会社の出した証拠によつても徳島船井解散後、徳島船井の三億円にのぼるという赤字をも損失勘定でくみいれた上、なおかつ一二億六千八〇〇万円余の剰余金をかかえているのである。(疎甲九四号証貸借対照表)まして貴裁判所の停止した申請人等の最底限度の生活を維持して裁判を行うに必要な毎月の支払うべき仮処分金は五六六万円余に過ぎない。これをも停止しなければならない回復しがたい損害がどうして会社に生じるというのであろうか。

その後も会社は隆々として発展している。げんに最近にも徳島地方の子会社製造工場でも大々的に従業員を募集し業務拡大を図つている。(疎甲九五証。疎甲九六証の一〜二)

会社は申請人等が金銭的に困窮していることをもつて会社に回復困難な損害を与えるかの如き言うが、土台金銭をもつて償えるべき債権をその履行によつて回復困難な損害と称するのは法律的には通用しないものであり、総額にすればかなりの金額になるとしても申請人各人に対する金額はわずかのものである。申請人が多数で回収に不便だというようなことをして回復困難とするのは全く不当な見解である。申請人等が金銭に困窮していることは事実であるが、そのことは本件仮処分の必要性の認められる要件であつたはずであり、金銭に困窮していなければ仮処分の必要性がないとして斥けようとし、金銭に困窮していれば会社に回復困難な損害を与えるとしてその執行が許されないというのであるならば、いつたい申請人等には一審での仮処分は認められないことにならざるを得ない。

一二億円もの余剰金をかかえる会社にとつてわずか月五〇〇万円足らずの支払いはいささかも痛手にならないに反し、申請人等に於ては唯一の収入源たる月四万円足らずの支払いを停止することは生存の否定にさえ通ずる回復困難な著しい損害を受けることは余りにも明らかであろう。(結局坐して死ぬ訳にもいかないから訴訟維持することの断念を強制されてしまう形にあらわれるのである。)

(七) そうすると、本件執行停止は実情から遠く離れ、事実を大きく誤認したものだといわざるを得ない。

まして仮処分についての執行停止はさきにのべた通り例外の例外であるべきで、相手方の意見を充分きくことなく明らかな誤りの仮処分の裁判が出された場合にのみ適用されるべきものであること、又法律的根拠も民訴五一二条の準用に過ぎないものであることに鑑みると、この執行停止は速やかに取消されるべきものである。

もともと民訴五一二条は執行停止を「一時停止すべきこと」との規定から明らかな通り、必らずしも停止の期限は控訴審(ないし異議審理)の判決あるまでの間全てにわたる必要はないものであり、当初の停止に於てこれと異なる短期の一定期間に限つて執行停止をすることが可能であり、あるいは又、当初事情が充分わからず、(控訴審裁判所が執行停止の判断を行なう場合、一審記録も間にあわず、控訴人の一方的な主張のみによつて判断するということは常にありうることであり、本件もまさしくその例にもれない)かかる事情からその後に停止をする必要がないこと、あるいはすべきでないことが明らかになつた場合には適宜裁判所の裁量で取消すことが出来るものと解する。

このことが法文上執行停止の期間をあえて「控訴審判決あるまで(あるいは異議事件判決)」とせず「一時」としたことの謂である。

況んや仮処分事件については例外の例外の場合に準用出来るというに過ぎないものであり、仮処分という緊急性のある事件につきさらにその執行を阻止するという緊急性が要請される事態のなかで、あるいはとりあえず、執行停止するという結論になることが、あることは否定出来ないにしても、しかしそれが、控訴人側の一方的な主張のみで、仮処分申請人の意見をきくことなく、まして一審事件の審理記録も検討する余裕もなくなされたような場合、民訴五一二条の準用に過ぎないということの性質上からいつてもその後の事態のなかで裁判所の裁量によつて取消しうることは当然であろう。

申請人等としては執行停止を受けた全ての額について取消すべきものと確信するが、さらにすくなくとも判決以後の毎月分についてはどんなことがあつても取消さなければならないものである。

なお、講学上判決についてはその拘束力が認められておりその根拠は両当事者の弁論に基づき裁判所が慎重な審理と熟慮を重ねた末に到達した結論としてなされるのであるから言渡後に於て再検討しなければならないということは原則としてないはづであり、又あるべきではなくみだりにその変更、撤回すべきでないとされるところにある。そして決定も権利関係を定める判決的内容を有する裁判についてかかる趣旨が準用されるという。従つてかかる趣旨からいつても一方当事者の意見も聞かず、又原審記録等を検討する余裕もなく出される可能性の常にある執行停止決定については、そしてかかる検討を経てない本件のような仮処分決定については、そのような拘束力の認められるべき根拠はなく、又執行停止という訴訟における一時的、合目的な措置の域を出ない性質であることの本質、何度もくりかえすが仮処分停止という例外的準用のみしか認められないという法律的根拠のはく弱さ等をあわせ考えれば、その後の事情変更、事情判明によつて取消しうることは明らかである。

(八) 最後に右取消が万一認められない場合には民訴五一二条後段の「保証を立てしめて強制執行をなすべきことを命じ」の規定を準用して申請人等に一定の保証を立てしめることによる強制執行の開始ないし続行を許すとの裁判を求める。

右規定は余り活用されていないようであるが、本件の如く一応の執行停止のあつた場合、さらに執行債権者からの申立により保証を立てしめることにはり執行の開始ないし続行を許す場合のものであり、本件の実情からいつて保証を立てることはきわめて困難であるが、これを最底限のものにしてすくなくとも本規定の適用による執行の続行を許すべきである。裁判所の真剣な再考慮を心から訴えたい。

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